12角の石(と14角の石)を観た後は、ロレト通りを通っていよいよクスコ観光最大の山場コリカンチャへ向かいます。

インカの石組みが残るロレト通り

コリカンチャはインカ帝国時代の呼び方でQoriは黄金、Kanchaは場所という意味で「太陽の神殿」だったそうです。
インカといえば黄金というイメージが頭に浮かぶけど、そういう意味ではこのコリカンチャはインカ帝国の象徴とも言うべき場所。見逃すわけにはいきません。
スペイン人が征服した時にここに教会を建てる為に土台だけ残してほとんど壊してしまったんだけど、1960年から復元が始まって多少神殿の面影を偲ぶことが出来ます。

土台の石組みだけがコリカンチャ

入口に着くと、首からガイドの証明書をぶら下げた女性が近づいて来た。
「こんにちは。英語は話せますか?」
「少しだけ」
「こちらの入口が有名なコリカンチャで入場料10ソル。あちらの入口はサント・ドミンゴ教会の入口で入場料は無料です。20ソルでガイドしますけどいかがですか?」
海外旅行だとやれスリだとかやれ詐欺師だとかに対する警戒心が強いもんだからとっさに断ってしまいました。すると女性はにっこり微笑んで
「そうですか。では楽しんで下さいね」
と言ってまた他のお客さんを捜し始めた。
その瞬間昨日のインカ博物館のことを思い出した。入口で勧められた英語ガイドを断ったがために、何が何やらさっぱり分からなかったインカ博物館。英語に自信は無いけど、ガイド無しよりは理解出来るだろうってことで、もう一度そのガイドさんのところに戻ってお願いすることにしました。
ガイドがあんまり長いと飛行機の時間に間に合わなくなっちゃうから、所要時間を聞くと40分程度とのこと。それなら充分間に合う。
じゃあ、お願いしますってことでいよいよコリカンチャに入場!

コリカンチャのパティオ

コリカンチャの中に入ると中庭(パティオ)を取り囲むように回廊があります。その回廊に沿ってコリカンチャのわずかな面影を見ることができます。
最初はいけにえのリャマを捧げたと思われる台座がある部屋。
ここの壁の下のほうには小さな穴が三つ開いていて、ここからリャマの血やチチャ(トウモロコシのお酒)を部屋の外に流したのではないかと考えられているそうです。穴の数が3つというのはマチュピチュの3つの窓の神殿とも関係があるかもしれないですね。インカ帝国の初代皇帝は3つの窓からやってきたと言われているそうです。

生け贄のリャマを捧げた部屋

他にもマチュピチュの建築と通じるものがたくさんあります。キレイに高さが揃えられた台形の窓とか内側に85度に傾斜している石組みはマチュピチュで見たものとそっくり。インカを代表する建築方法と言えるのでしょう。

高さが揃った台形の窓

ガイドさんは精巧な石組み技術の秘密もいくつか紹介してくれました。石と石の間にはモルタルは使われていなかったものの、銅の「かすがい」が使われていたようです。あるいは石を凸と凹に削ってずれない工夫もされていました。
この強固な石組みは過去の2度の大地震にも耐えたのに対して、その石組みの上にスペイン人が建てた教会は地震に耐えきれずもろくも崩れ去ったというのは有名な話ですが、さすがにインカの石組みも多少のダメージは受けたらしく、何カ所か石組みに地震による隙間が開いていました。
しかし、大地震で多少石組みがずれてしまっても他の部分がしっかりしているから倒壊しないということが逆に石組みの精巧さを物語っているということでした。

銅のかすがいがここにはめられていたようです

他のインカの遺跡でも見られるけど石には時々ぼつぼつとしたでっぱりがあったり、小さな穴が空いていたりします。せっかくガイドさんがいるんだから聞いてみました。
「このでっぱりは何なの?」
「分からないんです。何かを引っ掛けていたのかもしれないし、目印かもしれないし、石を運ぶ時に使ったのかもしれない。色々な説があるけど、本当のところはまだ分かっていません」
んーそうなのか。はっきりした理由が分かればそれだけでもガイドさんを雇った甲斐があるって思ったけど、まあ分からないってことが分かっただけでも良しとするか。

石のブツブツはインカの謎でした

コリカンチャは石組みはもちろん素晴らしいんだけど、やっぱりこの神殿の当時のウリは黄金だったはず。
一体どんな風に黄金が使われていたんだろうって気になっていたんだけど、中に当時のコリカンチャを再現した模型が置いてありました。
壁の上部に黄金の帯が巻かれ、広場には金でできたトウモロコシやリャマの像が置かれていたそうです。・・・正直、模型で見ると思ったより金の使用量が少ない。
京都の金閣寺みたいに金ピカの神殿をイメージしたんだけど、そうじゃなかったみたい。
まあ金閣寺も金箔だけどね。

インカ帝国時代のコリカンチャ模型

その他、スペイン人がここを使っていた時に壁に描いた絵とか、何かの黄金の像が置かれていたと思われる窪みを案内してもらって予定よりも少し早い30分位でコリカンチャのガイド終了。

スペイン人のデコレーション
とても重要な場所だったと思われます

ガイドさんの説明は8割くらいは理解出来た(と思う)。二人で何となく見るだけじゃ分からないこともたくさんあったからガイドお願いして良かったなー。
スペイン人の略奪の歴史を語る時に何度も
「sad story(悲しい話です)」
って言ってたのが印象的でした。
現在の多くのペルー人には侵略者であるスペイン人の血が入ってるんだと思うけど、ペルー人はかつてのスペイン人に対してどういう気持ちを抱いているんだろう。自分の先祖でもあるわけだから、単純に恨んでるっていうのとはちょっと違うんだろうと思うけど。
そういうことも聞いてみたかったけど、デリケートな問題だし何よりそこまで高度な話が出来る程の英語力はないからちょっと無理でした。

Share this:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


Comments