見張り小屋からの絶景をたっぷり堪能してからいよいよマチュピチュ探訪開始!
まずはマチュピチュ遺跡の西側へ続くインカ道の途中にあるインカ橋を目指しました。
見張り小屋から少し登ったところにインカ橋へ続くインカ道の出発地点があって、そこにあるノートに出発時間と名前を書いて出発!
このノートは入山管理みたいなもので、もし戻ってこない人がいたら捜索するということなんだろうけど、よっぽどの無茶をしない限り危険ということはありません。ただ断崖絶壁の細い道なので高所恐怖症の人はちょっと怖いかも。

名前を書いて出発!

道はなだらかで体力的にきついということは全くありません。断崖絶壁に延々と細い石垣の道が続く。こんなところにどうやって石を積み上げていったんだろう・・・。かみそりも入らないという精巧な石垣もすごいけど、こんな絶壁に沿った道を作るというのもすごすぎる。そこまでしてでもマチュピチュに街を作りたかった理由はなんなんだろう・・。500年前にこの道を歩いたインカ人の気持ちに思いを馳せつつ、のんびり歩いていくと15分程でインカ橋に到着。

こんな感じの道を
15分程歩くと
インカ橋に到着!

インカ橋はすぐ側まで近寄れるけど、渡ることはできません。
まあ、渡れと言われてもむちゃくちゃ怖いので嫌ですけど。「橋」とは名ばかりで丸太が3本倒しているだけ。
昔は敵が襲来した時にはこの丸太を落として敵がマチュピチュに来れないようにしたそうです。

インカ橋は単なる丸太のことです

それにしてもこの丸太の先はどこに続いているのでしょう?クスコのほうから続いているインカ道はマチュピチュがゴールなんだと思ってたけど、こうしてさらに西に延びている道がある。この先にも遺跡があるのかな?
インカ橋で引き返してマチュピチュに戻って、次はいよいよマチュピチュの遺跡へ!
アンデネスと呼ばれる段々畑を降りて行って居住地区の入口をくぐってマチュピチュの街に入ります。

マチュピチュ居住地区の入口

入口をくぐって建物群を抜けると、石切り場に出ます。建築資材の元となる石がゴロゴロしていて、中には作業中だったと思われる石もあります。ということは、マチュピチュは完成した街ではなく、建設途中だったんでしょうね。こういう未完成のものを見ると本当にここで人が生活していたんだなあっていう実感が沸いてきます。インカの時代と現在は確実に繋がっているんだなあって。

作業中に放置された石

この石切り場を過ぎるとマチュピチュで最も神聖だと言われている広場に出ます。神聖な場所の隣が石切り場というのもちょっと違和感があるけど、街そのものが小さいから仕方ないのかな。

3つの窓の神殿は片側の壁は風雨で崩れてしまったそうです。ということはこの3つの窓の壁も数百年後には崩れてしまうかもしれないんだなあ。3つの窓の壁の反対側にある石は階段状に刻まれていてこれはどうやらインカ十字をかたどったものらしく、地中に埋まっている部分も階段状になっているそうです。

この聖なる広場にはその他に、神官の館、主神殿があるんだけど、正直「聖なる広場」だと言われなければ、他の居住地区の建造物とあんまり違いが分かりません・・。主神殿は確かに石垣がキレイに積まれている気がするけど、地盤沈下か地震の影響で片側が崩れ始めてます。またこの聖なる広場には南十字星を示す石が埋まってます。ここから南十字星を眺められたらさぞかし神秘的だろうなあ。残念ながら夜にはマチュピチュの遺跡に入ることは出来ません。
主神殿の裏側には「宝飾室」があります。ここで説明していたガイドが
「この部屋のニッチ(壁のくぼみ)は男の声に反応して、女の声には反応しない」
って言ってました。
何それ!めちゃくちゃ神秘的!どいういうこと?って思っているとガイド(女性)が実践してくれました。結局は高い声だとあんまり響かなくて、低い声だとよく響くってことらしいです。ちょっとがっかりだったけど、試してみると確かに低い声だと良く響く。石垣が精巧ということもあるのかな?こうやって壁に向かってお祈りでもしたんだろうか?宝飾室って言うからにはこの窪みに宝物を飾ったって考えるのが自然な気もするけど・・。宝飾室ではなく葬式のための部屋だった可能性もあるらしいです。真実は誰にも分からないですね。

こんな感じでお経でもあげたのかな?

聖なる広場の隣にはインティワタナ(日時計)が置かれているピラミッド。インティワタナはとても不思議な形をしていて、単に夏至や冬至を示すためだけのものとは思えない。占とかにも使われてたんじゃないかな?農耕民族だったことを考えると天気予報って線もあるかな?色々考えてみるだけでもワクワクしますねー。

インティワタナのピラミッド

ピラミッドを降りるとワイナピチュ登山の入口になります。ワイナピチュの手前にはワイラナという向かい合って建っている二つの建物があって、そのワイラナの間に聖なる岩が置かれています。マチュピチュ自体神聖な場所とされているだけに「聖なる」ものばっかりなんだなあ。
この聖なる岩はいわゆるパワーストーンと言われているので観光客はみんなこの岩に手をかざしてパワーをもらいます。僕らもご多分にもれず、手をかざす。ありがたやー。

聖なる岩

この岩は後ろにそびえる山を模した形をしているそうです。
この聖なる岩がマチュピチュ遺跡の一番奥です。ここから入口に引き返します。行きに通った道とは違う道で戻る。あまり身分が高くない人達が住んでいたと思われる居住区は石垣の組み方が粗いです。迷路のような居住地区にはビスカッチャというウサギが住んでます。何回か同じ場所で見かけたから行動範囲は狭いと思われます。この辺に来たら要チェックです。

ビスカッチャ
まさに天空の城ラピュタ
迷路のような居住地区

マチュピチュはその綺麗な石垣が有名だけど、自然の岩を利用した建造物も多く、それも素晴らしいです。自然の岩の曲線を活かしつつ、人口の石垣が組まれてる。この下の写真の建造物はほとんどの人がスルーしてたけど、脇の階段を登って行くと建物の上というか屋上には祭壇のようなものがあります。これも何か意味があるんでしょうなあ。
現地で買ったガイドブックにも何にも説明が無かったので見当もつかないけど、マチュピチュはこういう自分だけの発見もたくさん見つけられると思います。とにかく想像力を働かせると楽しくて仕方ないです。

自然との融合

しばらく居住地区を進むとまた面白い建造物たちが現れます。
「石臼の宮殿」あるいは「天体観測の部屋」
石臼と天体観測じゃまったくイメージが違うけど、この石臼に見えるものは削られた痕跡が全くないことから、石臼として使われていなかったことは明らか。ここに生け贄の血を入れて宗教儀式を行ったか、水を注いで、月や太陽を反射させて天体観測を行ったかのどちらかではないかと言われています。ということはこの建物には屋根が無かったのかな?

天体観測の部屋

次はコンドルの神殿。神殿って名前だけど、監獄として使われていた可能性もあるそうです。この神殿も自然の岩と融合した建造物で、自然の岩がコンドルが広げた翼を示していて神殿の手前にはコンドルの頭の形の岩が埋まっています。
わざわざ監獄にこんなに凝ったデザインを施すかな?地下牢と思われる場所もあるけど、生け贄とかミイラを置いたりするのに使ったんじゃないかなあ。

コンドルの神殿(監獄?)

最後は水汲み場や水路を通りつつ太陽の神殿へ。
ここはまさに神殿という感じです。精巧な石組みと綺麗なカーブはクスコのコリカンチャの石組みを思わせます。この神殿も自然の岩と組合わさっていて、下の部分はミイラが置かれていた神聖な陵墓だったと考えられています。この神殿の窓は冬至と夏至に窓から入る太陽の光が神殿の中に置かれた黄金の像を照らしたそうです。エジプトのアブシンベル神殿のようですね。どんな黄金の像だったんだろう。それもスペイン人が溶かして売り飛ばしちゃったのかなあ。

太陽の神殿(上)と陵墓(下)
小さい穴は蛇を通した?

太陽の神殿の周りの王の別荘、王女の宮殿と呼ばれる見どころを回るともう13時過ぎ。マチュピチュの街に入ってから3時間近く経ってました。お腹もかなり空いたので、いったん遺跡を出て昼食をとることに。

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