ウィントフックで過ごす今日はめぼしい観光スポットを回ってくれる半日ツアーを申し込んでいました。現地のツアー会社Quest Tours and Safarisという会社。もともとウィントフックからナミブ砂漠への移動手段を探していた時に見つけた会社です。社長のFillemonは旅行前からWhatsAppで頻繁にやりとりしていてしっかりした対応をしてくれていたので半日ツアーもお願いすることにしました。
最近独立して作ったばかりの会社だそうです。
約束通り10時にホテルに来てくれました(海外では時間通りに来るということがすでに1ポイント付与に値すると思う)。
旅行前に何度もやりとりしていたので、ようやく会えたねーと挨拶。
ガイド見習いの女性と一緒に観光スタート。

まずは奴隷解放的なモニュメントからスタート。

先祖の流した血が今日の自由であると

首吊り処刑されている黒人と執行側の白人のレリーフの上に鎖から解放されて自由を勝ち取った黒人の銅像。すごく重たい・・・。
日本人にとっての原爆ドームのような悲しみがある。
この銅像の後ろにドイツの植民地時代に駐屯地だった建物があってさらっと見学。今は博物館になってるそうだけど今日は休みでした。

続いてお隣の独立記念博物館へ。

独立博物館

この建物の建築は北朝鮮がずいぶん協力したのだそうです。外国を支援する余裕もあるんだね。
エレベーターで上の階へ。

ドイツ植民地時代や独立戦争の英雄達

独立戦争に貢献したヒーローが讃えられてます。真ん中の英雄の下にある植物(の模型)はウェルウィッチアというナミビアの珍しい植物。1000年以上生きるんだそうです。和名はキソウテンガイ。納得。ちなみに京都植物園でも見ることができます。

ここは独立博物館というだけあってナミビアの独立に関する展示がメインですが、それ以前のものも展示されていてなかなか面白いです。

石器時代の道具とか
キリンの絵お上手
ナミビアのどこかの民族が作ったカゴ

Fillemonが一つ一つ丁寧に説明してくれます。Fillemonは筋肉ムキムキだけれども優しい声でゆったり話します。すごい筋肉だけど筋トレしてるの?と聞くと一切やってないとのこと。むしろ体を動かすのは好きじゃないんだって。
んーDNAってことか。羨ましい。

19世紀のヘレロ族

ドイツ植民地時代の展示は辛く悲しい。

飲まず食わずで死ぬまで働かされたそうです

飲まず食わずで働かされ続けたそうです。今更過去を変えることはできないけど、ドイツは歴史を反省して元植民地に手を差し伸べるべきなんじゃ無いかな。
まあドイツに限らず植民地政策をとっていた国は全てね。日本も含めて。
ナミビアはドイツの植民地だった後、南アフリカに吸収されて1990年にようやく独立することができました。独立の時はキューバがずいぶん助けてくれたそうです。そのため街の目抜き通りには「フィデル・カストロ」通りという名前が付けられています。

展示室の上は展望台と喫茶室になってました。フレッシュオレンジジュースを飲んで街を眺める。風が吹いていて気持ちが良い。
風が気持ち良いねーとFillemonに言うと、ウィントフック(Windhoek)は風の曲がり角(Corner)という意味なんだと教えてくれた。ほー・・曲がり角ってどういうことかね。風向きが変わりやすいってことかな?

お金持ちの高校だそうです

隣に学校があって生徒がキャーキャー騒いでる。お金持ちの高校だそうな。廊下で喋ってる生徒が多い。休み時間かな?

反対側は教会が見えました。次はあの教会に行きます。

展望台からお隣の教会を眺める

教会の前の駐車場で駐車場の管理人みたいな人が木の実を削ったキーホルダーを売ってた。結構可愛らしいから買ってあげたかったけど、もうこういう小物が溢れすぎちゃってよほど気に入らない限りは買うのを止めてるので断念。ごめんね。

実を削ったキーホルダー

教会の中はシンプルな作り。壁に多くの人の名前が刻まれてました。独立戦争で命を落とした人たちだそうです。つい30年前のことだもんな・・・。

独立戦争で命を落とした方のお名前だそうです

街の中心地観光は以上で終わり。次はカトゥトゥーラ地区というタウンシップ(黒人居住区)に向かいます。

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